飛鳥、奈良時代 香木の初見
595年、日本書記に淡路島に香木が漂着した、との初見記述があります。漂着とは輸入品であることを示しています。実際には、これより早く仏教伝来時に経典とともに香木も渡来したと考えるのが合理的でしょう。
平安時代は薫物
平安貴族は、香木に丁子や麝香(じゃこう)等をブレンドした薫物(たきもの)を楽しみました。薫物には、季節毎の定番や個人の特徴を表すオリジナルも愛用されました。
組香の初見
1334年(建武元年)、二条河原落書「このごろ都にはやるもの」に「茶香十炷の寄合」と書かれていた事は、建武記(1335年)により知られています。組香の初見です。
この時すでに「組香」である「十炷香(じゅっちゅうこう)」がバサラ大名らの間で行われていた事がわかります。高価な香木を多種使用して、香りの異同を当て、優劣を競う豪快なゲームでした。この時代の組香には、まだ表現力がありません。
「香道の成立」
室町時代後期、応仁の乱(1467年応仁元年~1477年)後の東山文化の中で、和歌に通じた公家の一部が、組香を「和歌の主題」を表す芸道としてとらえ直しました。
和歌の主題を、組香で表現する「香道」の誕生です。茶道、華道と並ぶ三大日本文化として様式も整えられていきました。
江戸時代の普及
江戸中期になると、武士だけでなく多くの町人衆にも普及し、香道人口は飛躍的に増大しました。源氏香等も広まり、文書も多々発行されています。しかし、次第に遊戯的方向に流れ、本来の「和歌の主題を組香で表現する」香道の理念は薄れてしまいました。
現代の香道
気軽な香りのテイスティングから始まり、香りによる表現方法として香道を学ぶ人が増えてきました。主題を組香で表現する、香道本来の姿に近づいています。
江頭 洋 著 香道翠風流テキスト「紹介編」P.2より